旅をするということ
私は旅行することが好きだ。特に海外を旅することが大好きだった。
私は20代の頃、そう、時間もお金も全て自分に注ぎ込むことが出来た良き時代、休暇のたびに外国を旅した。
訪れた国は13か国。いずれの国も思い出深く、退屈な国などひとつもなく、全てが興味深く、私の好奇心を刺激した。
美しいものが見たい、見たことがないものを見たい、もっと古いものを見たい、もっと新しいものが見たい、実際にこの目で見たい、もっと遠くへ行きたい。
その純粋な情熱だけで飛行機に飛び乗れるほど、私は若かった。
今でも旅行した時のいくつもの光景が思い出され、私の五感に訴える。
モルディブのインド洋に沈む太陽は、私が今までに見たどんな太陽よりも大きく赤く、それは沈むというよりもまるでゆっくりと溶けていくようだった。
耳をすませば、スコットランドの古城で聴いたバグパイプの音色が今でも聞こえてくるし、香港の屋台で買ったキウイジュースの酸っぱい味も忘れられない。荘厳な美しさにただただ圧倒され、息をのんだミラノの大聖堂。とても神聖な空間に包まれていたことを今でもはっきりと覚えている。
私はなぜ外国を旅行することに心惹かれたのだろう。
外国に行くと私は自分がアジア人で日本人で女性で一人の個人であると強く実感した。それは私にとってとても新鮮な感覚だった。
日本にいると、アジア人だとか日本人だとかを実感する機会も必要性もない。なんだかそれは、まるでぬるま湯に浸かっているかのような気になる。
自分が他の誰でもなく自分であるということ。「私」はこの世に一人しかいなくて個人として存在するということ。そう認識することは、緩んだ生活に慣れた私に少しの緊張感をもたらした。不思議なことに、それが少し居心地が良かった。大げさかもしれないが、生きているという実感がした。
そして、日本の外から日本を見つめて、日本の良さも悪さも発見できることがおもしろかった。
私達は誰でも旅行に行くと退屈な日常から離れることが出来る。言わば現実逃避が出来るのだ。観光地を巡って、美しくて素晴らしいものを見て、その国の一番良い所を急ぎ足に通り過ぎる。そして、ああよかった、すごく楽しかった、本当に夢みたいな旅行だったと懐古する。
だけど、夢みたいな楽しいだけの場所なんて存在しない。
例えばローマ。私も大好きな都市。世界中から観光客が訪れ、観光地として魅了してやまない都市。
人々は憧れと興奮を持って訪れ、歴史のロマンに酔いしれる。私自身がそうだった。
こんな美しい都市に住めたら毎日が輝かしくて刺激的に違いないと思った。
でも、違う。はっきりと言えることがある。
ローマに住む人々にとっては、そこは観光地ではないということ。
ローマ市民にとってはローマは生きていく場所、生活していく場所であり、つまり現実と向き合う場所なのだ。
悩みもあれば悲しみも苦しみもある。もちろん幸せも。
人間の本質は変わらない。問題を抱えたり解決しながら、今日という一日を泥臭く生きている。
たとえ、あの美しいローマでもだ。
誰かにとって観光地でも、そこに住む人にとっては現実と向き合う場所。
こんなに単純で当たり前の事に気がついた時、私は力がわいてくるような、勇気づけられるような気がした。
とても前向きな気持ちになり、すがすがしさすら覚えた。
事実、私はいつも帰りのフライトで楽しい思い出を胸に、少し後ろ髪を引かれながらも、明日からの自分の場所とまっすぐ向き合う覚悟をしていたと思う。
旅行を楽しんで、心身ともに満たされ、それが明日への活力となると同時に、身の引き締まるような思いがした。
私はその気持ちの切り替えが大好きだった。
私は弱くて不完全な人間だから、不満をもらしたり、投げやりになったりする。気持ちが荒れることもある。
でも、そんな時は、より大きな世界や物事を考えることにしている。私を取り巻く世界は小さくても、世界はもっとずっと広いのだと思うとなんだかワクワクする。
生きていると本当にいろいろな事がある。万事、全てが上手くいくわけじゃない。でも時々、キラリと光るような素敵な事があるから、人生捨てたもんじゃないと心底思える。
私は今や結婚して母となった。独身の時のように自由にいつでも海外に行けるわけではない。だけど、結婚してからすでに5回日本国内を引っ越した。
知らない町に住み、生活を築き上げ、たくさんの人と出会い、別れを繰り返してきた。
そして今、私は日本にいながらにして日本を再発見していると感じている。日本にも私の知らない場所は、たくさんあるのだ。何かを知りたい、あれをやりたい、あそこに行きたいという気持ちは、昔の私のまま変わっていない。
探求心を持ち続けていれば、常に新しい発見があるのだ。
それは日本にいようと外国にいようと関係ない。
でも、私はまた近い将来、きっと海外を旅行するだろう。考えるだけで心が浮き立つ。
母親となった私は、異国の地をどんな風に感じるだろうか。
旅をする上で、とても重要なことがある。
それは、体力、気力、少しばかりの財力、一緒に行く友人や家族、整った環境、そして何より自由があるということ。これら全ての条件が合わさってこそ旅行を達成することが出来る。
これは当然のことと思いがちだが、奇跡的とも言える、幸せでありがたいことの集結なのだ。
このことを忘れてはいけない。
楽しい思い出というものは、何年経っても色あせることはない。
まるで宝物のように自分のひきだしの中にあって、必要な時にいつでも取り出すことが出来る。
共に旅した友人と、今でも思い出話に花を咲かせて笑い合える。誰かと思い出を共有できるというのは貴重だ。それが楽しいものなら、なおさら。
人は経験を経て成長していく。時に修羅場をくぐりながら、その時々の感情や思い出と向き合って自分を形成していく。
そして今の「私」が存在する。
何もかもが自分に投影されているとしたら、何も無駄な事はないように感じる。物事は絶えず変化する。何かに影響を受けたり、また与えたりして、人もすこしずつ変化していく。
私は自分の心が動いたどの瞬間も見逃したくない。
そして、その時に感じた考えや言葉を大切にしたいと思う。
そうやって、これからの「私」を形成していきたい。
人生は旅であると誰かが言っていた。確かにその通り。
人生を生きるということは、行き先のない遥かなる旅路に出るようだ。
しかし、何事にも終わりはある。旅にも人生にも。でも、生きている限りは続いていく。
時々、気分が沈むことがある。過去の記憶にひきずられて、立ち止まることもある。でも、いいと思う。仕方がない。それはとても私らしいから。
そして、家族が元気ならそれでいい。
朝起きて、いい天気なだけでうれしくなれるなら大丈夫。
平和な国を生きている私はラッキーだ!
私はいつも、どこにいたとしても、目を開き、心を開いて、世界をあるがままに見ようと思う。
明日はもっとより良い一日になるように、願いながら、ささやかな努力をして、時に誰かの助けを借り、それに感謝して、優しい気持ちを持ち続け、いつ終わるかわからない人生という旅を一日一日精一杯過ごしていきたい。
人生という旅、つまり生きるということは、とても価値があり、本当にかけがえのないものだと私は思うから。